綿花積み出し港の面影を求めて・・・

ミシシッピー州ナッチェス

 

 

始めに

 

日本の読者の方々がミシシッピー州といったら何を連想されるだろうか。その質問をされると、多分多くの方が答えに窮するのではないかと思う。かく言うぼくも同類である。だから、1985年にルイジアナに留学していた頃、自分から興味を持ってミシシッピー州に出かけるようなことを思いつかなかった。

 

1986年5月、留学を終えて帰国の準備をして過ごしていた頃、ホスト・ファミリーだったパーシー・ミラー御夫妻に連れて行ってもらい、初めてナッチェスを訪れた。ロングウッド、マンモスといった19世紀の大邸宅の他に、ナッチェス・インディアン・グランドビレッジ、ナッチェス・トレース・パークウェイなどに案内していただいた。日帰りとはいえ、御夫妻で郊外に連れて行っていただいたことは後にも先にもこれ1回だけだ。ミラー氏は既にお亡くなりになり、デイジー夫人はルイジアナ州バトンルージュの郊外、シャーウッド・フォレスト地区で一人暮らしをされている。

 

フランス人入植は、ミシシッピー河畔を拠点として内陸に展開されるのが一般的な傾向であった。ナッチェスも同様で、1716年にフランス人入植者がフォート・ロザリー(ロザリー砦)を建設したのが始まりで、その後、綿花の積み出し港として19世紀に黄金時代を迎える。大農場主達は、この町に競って邸宅を建造した。この建設ラッシュは、1860年代の南北戦争とともに衰退する。ミシシッピー戦線は、1863年のヴィックスバーグ(ミシシッピー州)陥落を以って北軍に制圧される。そして、綿花貿易の衰退とともに、豪邸の持ち主達はこれを手放さざるを得なくなる。そして、その多くがNPOの手によって現在も保存・管理がなされ、多くの観光客を魅了するミシシッピー最大の観光スポットとなっているのである。

 

《フォート・ロザリーよりミシシッピー川を望む》

 

2002年12月、ぼくたちは避寒と称して南部の家族旅行に出かけた。ルイジアナ州バトンルージュを拠点として、ナッチェスにも日帰りのドライブ旅行を敢行したので、そこで訪問した観光地の数々をご紹介したい。

 

 

ロングウッド

 

Longwood, “In the architecture of Longwood, we see the peak of antebellum architecture, just before the Civil War, or the War between the States as it is often referred to in the South.  Longwood was never finished because many of the carpenters were from the North, and when War broke out in 1861, the Yankee men packed up their tools and headed for home.  Some of the tools still lie where they were left behind.  In this octagonal edifice we see the extreme variety of fluted Corinthian columns topped by the beginnings of Victorian “Carpenter Gothic.”  Some of the arches are reminiscent of Moorish architecture that was introduced into Spain in earlier days.  The onion dome complements this.  Dr. Haller Nutt built the house, and it was known as “Nutt’s Folly,” but it is magnificent to behold.” (Historic Houses of the Deep South and Delta Country)

 

 

ナッチェスで最も見栄えがする独特の建築様式の豪邸である。建築時期が1861年と新しいため、他の邸宅の様式を横目で見ながら、より豪華でより手の込んだデザインにしようという当時の農園主の意気込みが感じられる。しかし、外見はそれなりに完成しているが、内装に関しては2階より上は完成には程遠い。なぜ中途半端な状態で建築作業が中断してしまったかというと、南北戦争が影響しているらしい。アメリカ北部の職人が建築に関わっていたのだが、戦争勃発と同時に作業を中断して故郷の北部に帰ってしまった。工具とかもそのまま置きっ放しの状態である。そのような状態で140年もの間保存しているナッチェス人もエライと思う。

 

後発の邸宅らしく、ナッチェスのダウンタウンから少し離れた場所にあり、正門からこの豪邸に辿り着くまでに数百メートルの道路を進まなければならない。ナッチェスの訪問客はたいてい南のルイジアナ州からやって来るため、ツーリスト情報センターまで行かずとも先ずロングウッドを訪れることが多いと思う。ナッチェス観光の花である。だから、最初にロングウッドを訪ねてしまうと、あとの邸宅がどれも特徴に乏しいように見えてしまうので注意が必要である。予め建築時期について情報を整理してあれば、単に位置関係を基準にして観光ルートを決めるのではなく、建築時期が古いものから、新しいものに向けてコースを組んでみるのも面白いかもしれない。そうすれば、自ずとロングウッドは最後のクライマックスということになる。

 

 

ダンリース

 

Dunleith, “Dunleith is similar to other plantations in Louisiana and Mississippi, but much grander in scale.  The columns completely surround this mansion, giving it the peristyle aspect of a Greek temple.  They are extremely tall, and support galleries at the second level on each side of the house.  All of the windows continue down to the floor and are flanked by shutters (never called jalousies in Mississippi).  The beautifully designed dormers and the tall chimneys call attention to the height of the roof, and the dentation trim of the pediment is exceptionally fine.” (Historic Houses of the Deep South and Delta Country)

 

 

ダンリースも、1856年建造ということで、先発の建造物の良いところを取り入れつつ、特徴を出す工夫がされている。綿花貿易の最盛期の建造物らしく、壮大な外装である。建築時期が同じルイジアナのノットウェイがミシシッピー・リバーロード中最大の規模を誇るのと同様、ダンリースはナッチェスでも最大の建造物だ。ガイド付きツアーには参加しなかったけれど、ここのお薦めな点は、朝食付宿泊サービスがあることと、建物の裏手にある別棟でレストランThe Castle Restaurant & Pubが手頃な値段で食べられること、そうしたサービスが1つのコンプレックスの中に集中していることである。ギフト・ショップはそれほど大きくはないけれど、ここでは焼きたてパンの即売もやっている。ダンリースは、そこに1泊でもして滞在を楽しむタイプの邸宅だ。ナッチェスのダウンタウンの外れにあり、ここからであればどの方角に行くのにも動きやすい。

 

 

ロザリー

 

Rosalie, “Rosalie has been restored and cared for by the Mississippi Daughters of the American Revolution.  This renowned two-story house was constructed entirely of red brick, over a raised basement.  One is introduced to the house by entering through a magnificent tetrastyle portico, the same height as the roof.  The columns still maintain the early Doric pattern, and the roof is crowned by a belvedere, enclosed in a white wooden guard rail.  These belvederes were useful for watching the river boats, or to see if the show boat was nearing the landing at Natchez.” (Historic Houses of the Deep South and Delta Country)

 

 

 

2002年12月にぼくたちが訪問したナッチェスの豪邸の中でも、最も建造時期が古い。写真の建物の向こう側はミシシッピー川を見下ろす絶壁になっていて、南北戦争中にナッチェスが北軍に占拠された時、ここに北軍の本部が置かれたそうだ。先述のフォート・ロザリーもこのすぐ傍にある。また、しっかりチェックしなかったけれど、ここのギフト・ショップは今回訪問した3件の中で最も品揃えがよいように見えた。

 

内部の見学ツアーにも参加したかったのだが、最初の部屋でガイドから説明を受けている間、千智が調度品と見学ルートを隔てるロープに再三ぶら下がったことをガイドからたしなめられ、廊下で子供達をなだめようとすると、これらの調度品や建築物の歴史的価値など全然理解できない樹生が今度は調度品のテーブルの足にキックを始めた。これはかなわぬと思い、美澄ママだけをツアーに残し、ぼくは子供達と一緒に外に出て庭で待つことになってしまった。ガイドのおばさんも過剰反応だなと思ったけれど、実際悪さをしていたのはうちの子供達の方なので、文句の言いようがない。この辺りのB&B(朝食付き宿泊サービス)は、たいていの場合12歳未満の子供の同伴は認められていない。理由は、調度品にいたずらをしたり、壊したりする可能性が高いからだと思う。

 

というわけで、ナッチェスの豪邸巡りに5歳や3歳の子供を同伴したのは大失敗だった。たかだか19世紀の調度品や建築物に「歴史的」という形容詞を付けるのは、二千年の歴史を持つ日本の男児から見れば内心忸怩たるものがあるが、そんな歴史の浅い「歴史的事物」でも大切に保存しようとしている南部の(昔は美人だったであろう)オバサマに敬意を払い、子連れでのナッチェス訪問には注意が必要だということを、この場を借りて強調しておきたい。

 

 

その他の邸宅

 

ナッチェスには、ここで紹介した以外にも邸宅がいっぱいある。ナッチェス・ツーリスト情報センターのツアー・プランナー(ガイドブック)に書かれているだけで14件ある。その全てを把握しているわけではないが、ご関心ある方は、各邸宅が個別に持っているウェブサイトを参考にされると良いだろう。名前の後に「B&B」と書いてあるところは、朝食付き宿泊サービスも提供している。子連れでは難しいが、大人同士の旅では是非ベッド&ブレックファーストを満喫されては如何だろうか。

 

l        Auburn(オーバーン、1812年建造)

l        The Briars(ザ・ブライアーズ、1818年建造)B&B

l        The Burn(ザ・バーン、1836年建造)B&B

l        D’Evereux(デヴロー、1840年建造)B&B

l        Dunleith(ダンリース、1856年建造)B&B

l        The House on Ellicotts Hill(ハウス・オン・エリコット・ヒル、1798年建造)

l        Landsdowne(ランズダウン、1798年建造)

l        Linden(リンデン、1800年建造)B&B

l        Longwood(ロングウッド、1860−61年建造)

l        Magnolia Hall(マグノリア・ホール、1858年建造)

l        Melrose(メルローズ、1841−45年建造)

l        Monmouth(マンモス、1818年建造)B&B

l        Rosalie(ロザリー、1820年建造)

l        Stanton Hall(スタントン・ホール、1857年建造)

 

リンクが張られていない邸宅については、ナッチェス・ツーリスト情報センターナッチェス・ピルグリメージ・ツアーのウェブサイトで確認して下さい。

 

 

ナッチェスでの昼食‐Fat Mama’s Tamales

 

ナッチェスのツーリスト情報センターでは、上で述べてきた歴史的建造物の他に、ナッチェスのレストランのパンフレットも幾つか置いてある。僕達が2002年12月に訪れた時は、ロザリーのすぐ南隣りにあるFat Mama’s Tamalesというレストランのパンフレットに目を付け、そこでお昼を食べることにした。

 

レストランは、ログ・キャビンで奥行きもあまりなくて、お店に入ってカウンターでメニューを注文したら、後は料理を受け取って裏庭にテーブルで食べるシステムになっている。ファーストフードと同じシステムだ。ただ、裏庭のテーブルも数台しかない。30人も客が入ったら満杯になるだろう。

 

《トレイに乗っているのがタマールです》

 

ところで、店名にもなっている「タマール」って何だろうか。その昔、当地を拠点としていたナッチェス・インディアンが食べていたと言われている。すり潰したトウモロコシに水を加えて練り、チリ風味の味付けを施した挽肉を巻き寿司の要領でくるみ、最後は大きな葉っぱにくるんで蒸して出来上がり、といった感じではないかと思う。食べるときには葉っぱを取り除き、中身だけを取り出して口に運ぶので、基本的にナイフやフォークは必要ない。食べやすくて子供には人気だった。

 

この他にも、ケイジャン料理でよく見かける「ブーダン(Boudin)」という、コメ、タマネギ、ハーブの入ったホットなポークソーセージとか、美味しかった。基本的にはファーストフード・レストランなので、きちんと食べたい人にはお薦めできないけれど、旅の途中で軽く昼食という程度であれば、タマールを食べられる郷土料理店ということで、選択肢に入れておいてもいいのではないかと思う。

 

元々は、家庭料理としてタマールの腕を磨いていた小母さんが、娘さんの学費捻出のために1989年に開業したのがこのお店である。店名には「ファット(太った)」とあるが、決して太っているわけじゃない。ただ、強烈な南部訛りの英語で、身の上話をいろいろと語ってくれた。このレストランの大成功もあって、お嬢さんは無事カレッジを卒業して、ヒューストンでシンガポール人の男性と知り合い、結婚して現在シンガポール在住なんだとか。驚きなのは、このレストラン、しがない南部の田舎の寂れた通りにあるファーストフード店かと思っていたら、ちゃんとしっかりしたウェブサイトを持っていたことだ。

 

Fat Mama’s Tamalesのウェブサイトはこちら