大河の河畔は農園経営の拠点

ルイジアナ南部ミシシッピー・リバーロード

 

 

始めに

 

外からルイジアナ州南部にアプローチする場合、必ず起点となるのがニューオリンズ国際空港である。ニューオリンズ郊外にあるこの空港から、州都であるバトンルージュまでは、インターステートハイウェイ10号線(I−10)で約1時間強の行程である。このI−10とほぼ平行して流れているのがミシシッピー川である。昔、まだ道路などなかった頃、ミシシッピー川は海運や交通目的で利用されてきた。川幅も深度もかなりあるため、中型の貨物船であれば、ルイジアナやミシシッピー州はおろか、はるか北のアイオワやミネソタ州辺りまでも船で遡ることができたらしい。自ずと都市はこの大河の流域に発達してきたし、都市でなくとも、貨物の積み下ろしの便宜上、川の両岸から内陸に向かって発達していった大農園も、オーナー一家と労働者の住まいは川沿いに集中した。

 

南北戦争で南軍に加担したルイジアナの大地主は、そのために川を下って攻めてきた北軍の艦艇の砲撃を喰らい、多くの邸宅が破壊されたという。現存する邸宅の多くがそうした災難を免れた最大の理由は、彼らの知り合いの中に北軍の将校もいたことが大きいと言われている。その全てをここで紹介するのは難しいけれど、実際に訪問した幾つかのプランテーションをご紹介しよう。実際には訪れていないところも含めればメジャーなプランテーションは7件ほどある。それらをまとめて紹介したパンフレット「Great River Road Plantation Parade: A River of Riches」(http://www.plantationparade.com)が最もハンディなので参照されたい。

 

ゲートウェイであるニューオリンズからの距離を考えれば、南部歴史的建造物の旅のうち、最も実現可能性が高いと言えるかもしれない。実際、オークアレイまではニューオリンズの旅行会社が半日ツアーを出している。

 

デストレハン

 

“Destrehan Manor is the oldest plantation home left intact in the lower Mississippi Valley.  It shows the influence of the West Indies, which is typical of the early planter’s homes, since many of the planters had lived on plantations there before coming to Louisiana.  The main floor was raised and became the living area.  The roof was tall and wide, to give shade and to keep the house cool.  The window sashes opened high, making doorways to let the breezes blow through, but the louvred blinds (called jalousies) could be closed at certain times of the day to keep out the hot sun.  The ground floor became the working area.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

ニューオリンズ空港から車で10分程度、ミシシッピー川の東岸、デストレハンの町の近くにある。1787年建造で、リバーロード一帯のプランテーションの中では最古の建造物である。フランス貴族出身で、後にルイジアナ州知事やアメリカ下院議員を務めた大地主の建造によるが、18世紀末に建造された時点で今の姿だったわけではなく、途中オーナーが代わる度に徐々に形を変え、今の姿に落ち着いていったらしい。施設の入り口に設けられたギフトショップ兼チケット販売所で、先ず建物の変遷を説明する10分程度のビデオが上映される。これがなかなかわかりやすい。ルイジアナの大地主は、最初はインディゴ(染料の原料)栽培で利益を上げ、さらにサトウキビ栽培、そして石油採掘で利益を上げてきた。そうした所得源の移り変わりを実感することができる。また、ガイドの説明もなかなか面白くて、邸宅内を回ってみると、写真にある本宅は男性の寝室として使われていなかったこととか、当主夫妻の寝室が別々だったとか、当家の男子子息の友人が泊りがけで遊びに来ると、1つのベッドで3人くらいが雑魚寝していたこととか、18〜19世紀のアメリカ深南部では黄熱病が猛威を振るっていたとか、興味深い話を幾つも聞くことができた。週に何度か18〜19世紀ルイジアナ貴族の料理の実演も行なわれているそうである。

 

本館の建物はとても美しくて特徴ある建物だ。写真を見ればすぐに「デストレハン」だとわかる。ギフトショップもなかなか充実していて、他ではなかなかお目にかからないような塩用スプーンとか、ちょっとしたお土産には最適なアイテムも結構ある。ニューオリンズから最も近いので、僕はかなりお薦めのプランテーションだと思っている。

 

デストレハンのウェブサイトはこちら

 

 

ホーマス・ハウス

 

“Houmas House is probably one of the purest and finest examples of architecture in the United States – a true classic.  The octagonal garconnieres (houses for the boys – “les garcons”) are also unique and classic.  The enclosed belvedere at the center of the roof enabled the owners to see which packet boats were coming down the river and who was working in the sugar cane fields.  As in other early homes, the size of the exterior of the house did not necessarily dictate the size of the interior rooms.  Those at Houmas House are smaller and have lower ceilings than you would expect, but nevertheless, they were spacious enough.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

この建物は、1840年に、ジョン・スミス・プレストンとキャロライン夫妻によって建てられた。後で紹介する「オークアレー」がその壮大な樫の並木道と邸宅とのマッチングで有名なのに対して、おそらく「ホーマス・ハウス」は邸宅だけをとればリバーロード随一の美しさを誇るのではないかと思う。建造年が「オークアレー」の数年後であるため、おそらくプレストン夫妻は「オークアレー」を強く意識してこの邸宅の建造を行なったのではないかと思う。この土地は、キャロライン夫人の父ウェイド・ハンプトン将軍が1812年に購入したものである。

 

元々はフランス植民地時代の1700年代後半に、フランス人モーリス・コンウェイとアレクサンダー・ラティールがこの土地土着のホーマス・インディアンから土地を購入したのが始まりだった。その後の所有者の移り変わりは非常に激しく、ハンプトン将軍、プレストン夫妻の所有を経て、さらにはジョン・バーンサイドのような豪農が現れて土地と邸宅を所有する。バーンサイドは、この周辺の地名「バーンサイド」の由来ともなっている19世紀の大地主で、19世紀半ばのミシシッピー川両岸の土地所有図を見ると、バーンサイド家の所有地は他と比べて格段に広大であることがわかる。「ホーマス・ハウス」は1858年にバーンサイドに渡る。リバーロード周辺のプランテーションは、南北戦争の影響で北軍の砲撃を受けて破壊されたり、地主が土地を手放して北軍に接収されて競売にかけられたりして、没落したり、所有権が移ったりが頻繁に行なわれた。しかし、アイルランド出身のバーンサイドは、自分が英国側−即ち北軍側についていることを強調したため、砲撃からも接収からも免れ、その後も栄華が続いた。バーンサイドは、「ホーマス・ハウス」以外にも幾つかのプランテーションを購入して勢力を拡大する。一時期「オークアレー」も所有していたらしい。さらに18世紀終盤には、ウィリアム・マイルズが同地を所有してサトウキビ栽培で財をなした。このように所有権が転々とすると、当然建造物の外装、内装ともに徐々に変化してきているようである。元々は写真に見える邸宅の裏側に2階建のもっとシャビーな建物が始まりだったらしいが、プレストン夫妻がギリシャ様式の邸宅を建造し、さらには旧邸との間のテラスや2階同士を繋ぐ渡り廊下等が付け加えられていった。

 

ガイドブック「地球の歩き方」を見ると、「Hush, Hush, Sweet Charlotte」他、多くのハリウッド映画が撮影されたと書かれているが、当地のガイドによると、2年ほど前に日本のテレビ番組制作クルーが「ホーマス・ハウス」を訪れ、「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の生涯」というドラマの1シーンを撮影するのにこの邸宅を使ったそうだ。多分NHKではないかと思うが、ご関心ある方は収録ビデオを探されてはどうかと思う。最初に僕は「邸宅だけをとればリバーロード随一」と表現したが、ここの庭はそんなに貧弱なわけではない。ミシシッピー川から真っ直ぐ邸宅に向かってのびる樫の並木道のようなものは確かにないけれど、庭の広さはなかなかのもので、中には樹齢が相当に古い樫の大木もある。

 

最後にアクセスであるが、インターステート・ハイウェイ10号線を下りて10分ほどで行ける。ニューオリンズからは1時間30分はかかるので決して近くはない。ただ、この周辺は、「ホーマス・ハウス」だけではなく、「テズクーコ」や「アッシュランド・ベルへレン」といった現存するプランテーションが集中する地域でもある。また、本稿最後に紹介する「キャビン・レストラン」は「ホーマス・ハウス」から車で5分程度のところにあり、昼食込みで訪問するにはこの周辺は観光スポットが集中している。

 

ホーマス・ハウスのウェブサイトはこちら

 

 

オークアレー

 

“The oringinal name of Oak Alley was Bon Sejour, meaning pleasant sojourn, and a magnificent “Allee” led from the levee to the house, under a canopy of spreading live oak trees.  The riverboat captainsw that passed the town of Vacherie always referred to the location as the “Oak Alley” and that name persisted.  The house has three dormers on each side and the roof is crowned by a belvedere.  The central structure is surrounded by columns and wrought iron galleries on all four sides.  A series of french doors, fitted with dark green shutters, open onto the galleries on both levels.” ” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

1836年建造の「オークアレー」は、リバーロードで最も人気の高いプランテーションである。ニューオリンズから出ている日帰りツアーで訪問できるプランテーションといえば、真っ先に名前が出てくるのが「オークアレー」である。テレビドラマや映画のロケでよく利用されており、僕たちの世代であれば、トム・クルーズ、ブラッド・ピット等が出演していた「インタビュー・ウィズ・バンパイア」(94年)や、「マイアミ・バイス」のヒットで一躍スーパースターの仲間入りを果たしたドン・ジョンソンが、同じ時期に人気を博していたテレビドラマ「こちらブルームーン探偵社(原題Moonlighting)」でブルース・ウィリスと共演していたシビル・シェパードとコンビを組んで85年にテレビ映画化した、エリック・フォークナー原作の「長く熱い夏(Long Hot Summer)」(85年)で利用された。

 

なぜこのプランテーションの人気が高いかといえば、「地球の歩き方」によれば、「なんといっても樹齢300年の樫の木Virginia Live Oakの並木。1本だけでもすばらしい樫の巨木が、ミシシッピー川から邸宅まで400mのアプローチに片側14本ずつ28本も植えられている。両側から伸びた見事な枝は樫のトンネルを作り、さらにアーチを描いて一部は地面に届いている」からだそうだ。確かに、リバーロードのプランテーション・ハウスの中で、建物だけではなく庭の景観とのマッチングという意味ではここよりも絵になる場所は他にはないと思う。ニューオリンズからだと1時間ほどかかるけれど、それだけの時間をかけても行く価値はあると思う。リバーロードのプランテーション巡りは、「オークアレー」と他2〜3件の組み合わせになってしまうのだ。でも、僕はどのようなプランテーション・ツアーを組むにしても、「オークアレー」を最初に訪れるのはやめた方が良いと思う。とにかくここの樫の木の並木道は圧倒的で、その後にどのような素晴らしいプランテーションを訪れたとしてもそれがかすんでしまうからだ。

 

僕がリバーロードのプランテーションを初めて訪れたのは1995年8月で、結婚したばかりの妻と二人で出かけた。今ほどインターネットが発達していれば、事前に予約してここの宿泊・朝食サービス(B&B)のお世話になりたかったくらいである。その後、2003年4月に、義父を案内して再び訪問した。

 

ここは午前8時30分から朝食を食べられるレストランがあるため、早朝ニューオリンズを出てここで朝食を済ませて朝10時スタートのガイド・ツアーに参加するのが良いかもしれない。勿論、レンタカーでの観光だ。バスツアーは出発が9時頃であるためか、ガイド・ツアーに参加するのも早くて11時過ぎになってしまう。また、早朝のリバーロードは、大樹に覆われたプランテーション・ハウスの周辺だけ朝靄が立ち込める。僕が義父を案内してここを訪れた4月頃は、毎朝必ずお湿り程度の雨が降り、朝日とともにあがった雨が、気温が上昇するにつれて蒸発して靄をもたらす。9時を過ぎると徐々に靄は上がるが、その中から忽然と姿を表す大邸宅は、実体以上にそのスケールを大きく見せるような気がする。

 

ガイドの説明を聞いていて、ここのオーナーは、リバーロード周辺のプランテーションとしては珍しく、天寿を全うした人が多いのが印象的だった。元々はフランス貴族だったジャック・ジョゼフ・ロマンが1738年に購入した土地だったが、それから1世紀後の1800年代初頭、ロマン家の当主だったジャック・テレフォアが、ニューオリンズのフレンチクォーター在住だった19歳年下のセリーナを見初め、都市での生活を好んだこのセリーナを口説くためにこの邸宅の整備を開始したのだという。ジャックは50歳を目前に他界するが(この時期としては長寿な方だ)、セリーナはその後80歳を超えるまで長生きしている。その後、1866年に、南北戦争終結とともにロマン家の栄華は終わり、この邸宅は競売にかけられた。その後、オーナーシップは何人かの手を経て、1925年にアンドリュー&ジョセフィーン・ステュワート夫妻が購入した。このジョセフィーン夫人もまた長寿で、90歳を超えるまで生きて1972年に他界した。同夫人の遺言により、「オークアレー財団」というNPOが創設され、以来「オークアレー」は一般公開されるようになった。このように、19世紀初頭のロマン夫妻と20世紀のステュワート夫妻の長寿があってこそ、「オークアレー」は現在の姿をとどめることができたということになる。

 

オークアレーのウェブサイトはこちら

 

 

ノットウェイ

 

“Nottoway is believed to be the largest of the existing true southern plantation homes.  It was built on a grand scale by John Hampton Randolph of the Virginia Randolphs.  The elegant, curving front staircase and tall square columns add to the illusion of great height.  The only word that describes it is palatial.  A rounded wing on the upriver side of the house contains the famous white ballroom.  Another wing at the rear forms an ell with the house and provides kitchen and work areas on the first floor, and extra bedrooms upstairs.” ” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

建造は1857年と比較的新しく、リバーロード界隈で最も大きいプランテーション・ハウスだと言われている。建物だけ見れば豪華のひとことに尽きるが、「オークアレー」と違い、庭園との組み合わせという点ではイマイチである。建物の建造にエネルギーを使いすぎて、庭の整備に使えるカネが不足したのではないかと勝手に思っている。リバーロードのプランテーション群の中では最も上流に位置しており、もうバトンルージュの西の対岸と言うに近い。ただ、バトンルージュから行くにはミシシッピー川を渡って州道1号線を少々南下せねばならない。プラックマインの東、「ホワイト・キャッスル」という小さな町にある。この名前自体が「ノットウェイ」を指している。「ホワイト・キャッスル」周辺は、サトウキビ生産が今でも盛んで、州道1号線を走っていると、サトウキビの茎を大量に積んだトラックをよく見かける。

 

「ノットウェイ」もまた、B&Bで宿泊可能なのだが、別に宿泊せずとも、ここのレストランはなかなか上品なケイジャン&クレオール料理を提供してくれる。大型のプランテーション・ハウスならどこでもやっているサービスなのだが、ここのレストランはフランス料理のレストランを思わせるもので、家族連れでカジュアルな姿で行って、ドレスコードに引っかかるのではないかと少し心配した。(まあ、周囲の貧しい田園地帯を見ていると、こんな場所でドレスコードもクソもないだろうが。)2002年12月にルイジアナを訪問した時は、いろいろなレストランで「Crawfish Etouffee」を注文してみたが、ここのケイジャン料理がいちばん美味しかった。

 

なお、「ノットウェイ」の所有者であるランドルフ家の息女が20世紀の初頭の南部ルイジアナでの生活を匿名で綴った本が出版されている。M.R. Ailenroc, “The White Castle of Louisiana” 1903, John P. Morton & Companyである。この類の話に目がない僕は、つられてギフトショップで一冊購入してしまった。それと、特筆すべきは、この邸宅の一室は、映画「風とともに去りぬ」のロケで使われているそうだ。映画でチェックしていないのでどことは言えないが。

 

ノットウェイのウェブサイトはこちら

 

 

リバーロード周辺のレストラン

 

厳密に言うと、ミシシッピー・リバーロード周辺はケイジャンの入植地域ではないので、ルイジアナで有名な「ケイジャン料理」を出すレストランがこの周辺にあったとしても、郷土料理とはちょっと違う気がする。ただ、リバーロードのプランテーションを訪れる観光客が、ちょうど昼食を食べるのに適したポイントに、かなり有名なケイジャン料理を出してくれるレストランが1軒あるので、それを紹介しよう。

 

l        ザ・キャビン・レストラン(The Cabin Restaurant)リバーロードの中では比較的上流に位置する「テズクーコ(TEZCUCO)」や「ホーマス・ハウス(Houma’s House)」といったプランテーションに近い。ニューオリンズからは車で1時間程度である。キャビン・レストランは、奴隷時代にこの地にあった奴隷居住用のログキャビンを改装して作られた観光客向けレストランで、ルイジアナでは有名な軽食メニューである「ポーボーイ」(サンドイッチの一種)や「ガンボー・スープ」、そして定番の「Crawfish Etouffee」などを扱っている。例によって例の如く、ぼくはここでも「Crawfish Etouffee」を注文してみたが、これにサラダとフレンチフライ、コーンブレッドが付いても僅か10ドル程度で腹いっぱい食べられてとても嬉しかった。サラダとコーンブレッドはともかく、フレンチフライを出すあたりは、ちょっと客ズレしているかなと思わないでもないが、スタッフのサービスも、客にべったりせず、付かず離れずの微妙な距離感を保ってくれていて、非常に快適な食事を楽しめた。

 

Crawfish Etouffee」だけを比較するなら、目下のところ最も美味しいと思ったのはノットウェイのレストランで食べたものであるが、比較的リーズナブルな値段でそこそこのボリューム感が期待できるレストランとして、ぼくはキャビン・レストランがなかなかお薦めだと思う。