Goaux, LSU Fighting Tigers!!

おめでとう、ルイジアナ州立大学フットボールチーム全米チャンピオン


2004年1月4日、ルイジアナ州ニューオリンズのルイジアナ・スーパードームで開催されたBCS(Bowl Championship Series)チャンピオンシップゲーム「ノキア・シュガーボウル」で、BCSランキング2位のルイジアナ州立大学は、ランキング1位のオクラホマ大学を21−14で撃破し、全米王座に就いた。LSUの全米王座は1958年以来とのこと。地元バトンルージュ在住者をはじめとして、大学OBの皆様たいそうお喜びのことと思う。

 

残念なことに、ボクはLSUのシュガーボウル制覇を見ることなく2003年10月に帰国することになった。しかも、ボクが今回のアメリカ滞在3年間で唯一観戦したLSUの試合―10月11日のフロリダ大学戦は9−17の惨敗、おまけにこれが今季のLSUの唯一の敗戦だというから情けない。まるでボクが疫病神のように思える。それにしても、今季のLSUは13勝1敗の超好成績。1985年の留学以来、LSUを応援し続けて、滞米生活の間中友人にLSUファンを公言してきたボクとしては、ようやく周囲の鼻をあかした爽快感がある。この3年間に限って言えば、地元のNFLワシントン・レッドスキンズよりも圧倒的に勝率が良い。

 

2000年にニック・セーバンがヘッドコーチ就任後、LSUの勝率は劇的に改善した。2000年のシーズンは9勝3敗でプレーオフではピーチボウルでジョージア工科大学に逆転勝ち、2001年シーズンは10勝2敗で南西リーグ王座、プレーオフではシュガーボウルでイリノイ大学に快勝、2002年シーズンこそ8勝4敗でコットンボウルでテキサス大学に敗れたものの、2003年シーズンは見事に全米王座だ。エースQBは、ジョッシュ・ブーティからロハン・デイヴィ(現NFLニューイングランド・ペイトリオッツ)、マット・モークへと順調にバトンタッチされ、RBもラブランドン・トーフィールド、ドマニック・デービス(NFLヒューストン・テキサンズ)から4、5人のRBを交互に投入する模索期を経て、2003年後半にはジャスティン・ヴィンセントという1年生の逸材を得た。WRもオールアメリカンのジョッシュ・リード(NFLバッファロー・ビルズ)、マイケル・クレイトンといった全米トップクラスのリクルートを成功させてきた。ディフェンス陣にも、トレブ・フォーク、ブレイディ・ジェームズといったリーダーシップ溢れたLBを排出した後、今季はディフェンスラインにオールアメリカン、チャド・ラブレイを得た。これだけ分厚いリクルートをして、特にディフェンス陣は昨シーズンから全米上位の破壊力を維持してきたのである。

 

特筆したいのはQBのマット・モークである。大リーグ・ホワイトソックスのマイナーでプレーした後、セーバンのHC就任とともにバトンルージュに移ってきたモークは、2001年の南東リーグチャンピオンシップ・テネシー大学戦で負傷したエースQBデイヴィに代わって途中出場し、落ち着いたゲームメークで見事にリーグ制覇に貢献した。2002年シーズンは主戦QBとしていっそうの飛躍が期待された。実際、アウェイのフロリダ大学戦では、敵地で10年以上勝ち星のなかったLSUを対フロリダ戦圧勝に導いたが、この試合途中での負傷がひびき、残りのシーズンを棒に振ってしまった。モーク故障の間、マーカス・ランドールがQBを務め、ケンタッキー大学戦の「ブルーグラスの奇跡」を演出したりもしたが、攻撃が安定せず、シーズン後半戦の低迷に繋がってしまった。モークは本来相当な脚力を持ったオプションQBだったが、フロリダ大学での軽率なプレー選択がもたらした負傷に反省し、2003年シーズンはドロップバック型に見事に変身し、南東リーグを代表するQBに成長した。モークがシーズンを通じてプレーできたことが、今季の好成績に繋がったと思う。

 

(2004年2月24日)