ペガサス通信ワシントン便り・ワシントン市民マラソンレポート

Clifton Caboose Twilight Run
 

 

 

 


時期: 2003年5月31日(土)

場所: バージニア州クリフトン

アクセス: アーリントンの自宅から車で40分弱

種目: 1マイル、5km

参加費: 当日参加で20ドル、早割りあり。

 

概要:

クリフトンという町は、バージニア旅客鉄道(VRE)のマナサス方面行きで、フェアファックスとマナサスの中間にある。このVREの路線が昔貨物鉄道として発達していた19世紀後半、クリフトンは木材商人の木材中継地として発達し、ここにも駅があったらしいが、現在のVREはここには停車しない。徒歩でも5分もあれば町の端から端まで歩けてしまうこの谷あいの小さな町の中心をVREは通過するが、その踏切のすぐ傍には、赤い乗務員車(カブース・トレイン)があって、この古い町のアクセントになっている。毎週日曜日の朝には、この乗務員車が置かれた広場がファーマーズ・マーケットに早変わりする。

 

毎年、5月も末のこの時期になると、土曜の夕方の大会開催が目立ち始める。日照時間が長くて完全に暗くなるのが午後9時過ぎであるため、平日でも帰宅後にランニングウェアに着替えて7時、8時台に走っている人を多く見かける。その延長線上でマラソン大会が行なわれる感覚だ。そして、何かのお祭りとセットで開催されるケースが多いので、応援に来てくれる家族は待っている時間もそれなりに楽しく過ごすことができる。そして、主催者からするとマラソン大会自体の開催が目的というよりも、何か別の公共の目的のためのファンドレイジングである場合が多い。「クリフトン・カブース」の場合は、地元のフードバンク(使わない食料品の現物寄附を集めて恵まれない人々に再配分する機関)や、エイズに冒されたハイチ人孤児院「レインボー・ハウス」、クリフトンの町の景観維持などが目的である。マラソン大会だけのことを考えれば、主催者はイベント開催に必要な資金は既にスポンサーからかなり集めている。参加賞でもらえるTシャツの背中の部分は、そうしたスポンサー企業・団体のロゴが所狭しと並んでいるのが普通だ。だから、参加費用の殆どは、寄附行為に近い。

 

さて、昨年12月以来、久々のマラソン大会参加となったわけだが、この間ろくに練習もできず、5kmとはいえぶっつけ本番だった。まあ、練習のつもりで走ればよいと気楽に考えて走ってみることにした。あえて大会参加に付加価値を求めるとしたら、翌週の迫った剣道トーナメントで、午前中から審判のボランティアで1日中立ち仕事をした後で自分の試合に出ることに備えて、この日は午前中から庭仕事や息子の野球練習でなるべく椅子に腰掛けないように心がけて過ごした。そして締めくくりとして夕方の5kmランニングに挑戦したのである。

 

最近、ワシントン界隈は天候不順が続いていて、週末の度に雨に降られている。1週間のうち、快晴はあっても2日くらいで、とても5月の陽気とは思えない。この週末も、早くから土曜日は雷雨が予想されていた。それでもなんとか日中はもったが、「クリフトン・カブース」参加者が続々とスタート地点に集結し始めた夕方6時頃になると天候はかなり怪しくなり、5kmの部のスタート5分前になって、とうとう大粒の雨が空から落ちてきた。大きな落雷もあって雨雲がクリフトン界隈を完全に覆っているようだった。スタート時点で既にシャツもシューズも水浸しになり、往路はどしゃ降りとなった。眼鏡についた水滴で徐々に視界も悪くなっていった。走りながら、これだけのどしゃ降りは、ボクの市民ランナー全盛期にも経験したことがないが、この眼鏡に水滴がついて視界が悪化するという現象は、福島の吾妻小富士の70kmマラソンの登りで経験したなあと当時のことを懐かしく思い出していた。

 

練習もせずにぶっつけ本番で走れば、たとえ5kmであってもやっぱりキツイ。クリフトンは谷あいの町だから、この町をスタートして郊外に向かって走れば、どのようなコースをとったところでアップダウンはかなり激しい。取りあえず3.5kmぐらいまではなんとかノンストップで走ったが、腕時計が23分あたりにさしかかって向かえた給水所で少し歩いてしまった。27分過ぎにようやくランニングを再開し、最後まで走り切った。記録は32分22秒。歩かなかったら30分ジャストぐらいだっただろう。練習ゼロで出たレースとしては上出来だった。

 

(2003年6月1日)