ケイジャンのテーストを満喫

ルイジアナ南部アケイディアーナ

 

 

始めに

 

ルイジアナという土地は、その名が示す通り昔はフランス領だった。州都バトンルージュ自体が「赤い棒」という意味のフランス語だし、Lafayette、Breaux Bridge、Jeanerette、Broussardなど、フランス語が語源になっていて発音が難しい地名がそこら中にある。今でもフランス語を話す人々が住む。彼らは「ケイジャン」と呼ばれ、元々カナダのノバスコシア地方に入植していたが、フランスが英国との度重なる戦争の末にカナダの権益を失った結果、1750年代から60年代初頭にかけて最初の入植地を追われ、あらゆる困苦を経てはるばるミシシッピー西岸のフランス領に移ってきたのである。(「ケイジャン」という名は、ノバスコシア地方が昔「アケイディア」と呼ばれており、その入植者が「アケイディアン」と呼ばれていたのが、なまって「ケイジャン」になったと言われている。当時のミシシッピー西岸は「バイユー(Bayou)」という水路が縦横無尽に走る湿地帯だったが、ルイジアナ南部の「バイユー・テシ(Bayou Teche)」沿岸が最初の移住地だったと見られている。セント・マーティンビルを中心として、南のニュー・アイベリアから北のブロー・ブリッジ辺りまでがこのバイユーの沿岸で開けた町である。そして、このバイユーから西に向かって入植は進み、ラフィエット、アベィビル、レイン、クラウリーといった町が形成されてゆく。これらの土地を総称して「アケイディアーナ」と呼ぶようになった。

 

アケイディアーナの建造物は、リバーロード界隈の大邸宅と比べると建造時期も古く、当時の生活の苦しさが滲み出ている建物が多い。「ケイジャン」は自分達の歴史にプライドを持っているので、今でもその民族としての伝統、アイデンティティを大切にしている。歴史的建造物も大切に維持管理が行なわれている。

 

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「エヴァンジェリン:アケイディア物語」

 

アケイディアンのノバスコシア追放時における困窮の様子は、ヘンリー・ワッズワース・ロングフェローの長編叙事詩「エヴァンジェリン」が非常に詳しい。ロングフェローはアメリカを代表する詩人で、「エヴァンジェリン」が代表作というわけでは決してないが、セント・マーティンビルを訪れる観光客は、先ず「エヴァンジェリン」を知っておく必要がある。

 

「エヴァンジェリン」は、イギリス軍によってその仲を裂かれたアケイディアの一組の男女の実話に概ねその題材を得ている。ロングフェローは、1840年代半ばのある日、ノースカロライナ州セーラムの牧師ホーレス・コノリやナサニエル・ホーソンと食事をしている時、この牧師からその話を聞いたことがあった。牧師はホーソンにこの伝承をもとにした物語を書いて欲しかった。しかし、ホーソンは「強烈な光と重苦しい影がない」ために自分には向いていないと気付き、牧師に、ロングフェローにこの話をするように勧めた。ロングフェローは、この話の中の強く心に訴えかけてくるものが好きで、数年後の1847年に叙事詩として出版した。

 

セント・マーティンビルを流れるバイユー・テシの岸辺には、今でも「エヴァンジェリンの樫(Evangeline Oak)」として知られる美しい巨大な老木が立っている(写真参照)。この名の由来は次の通りである。「エヴァンジェリン」の登場人物の原型となるエマライン・ラビシュとルイ・アーシュノー(詩には「ゲイブリエル」の名で登場)は、離れ離れになって原生林から逃れた後、それぞれにセント・マーティンビルへの道を捜し求める。最初に到着したのはルイで、エマラインとその仲間の逃亡者がやっとのことでこの港に辿り着いた丁度その日に同じ波止場にやって来ていた。恋人達はお互いを認め合ったものの、ルイはエマラインに再会できるとは思っていなかったこと、そして、自分が他人と結婚してしまったことを打ち明けなければならなかったのである。

「エヴァンジェリン」の詩の中では、実はこの辺りが脚色されている。エヴァンジェリンは僅かの差でゲイブリエルに会うことができなかった。ゲイブリエルは新天地を開拓するために西へ向かい、エヴァンジェリンもゲイブリエルを追って西へと彼の消息を辿るが、テキサス、オクラホマでは彼を見つけることができず、中西部を経て、ようやくゲイブリエルに再開したのはペンシルベニアだったが、ゲイブリエルは当時流行した疫病に苛まれて、死の淵にあったというストーリーになっている。

 

セント・マーティンビルのトゥール・カトリック教会に隣接する墓地には、エマライン・ラビシュの墓がある。その墓の上には、女優ドロレス・デル・リオがモデルになったエヴァンジェリンの胸像が立っている(写真参照)。デル・リオは、1929年に「エヴァンジェリン」が映画化された際、主役を務めた。

 

 

ロングフェロー・エヴァンジェリン州立歴史公園

 

Acadian Cabin “This is a reconstruction of the very early Cajun Cabins that were built by the Acadians that came to the swamps, wet prairies, and coast lands of south Louisiana and south Mississippi.  The cabin had either one or two doors in the front of the house, and the usual outside stairway or ladder that led to the loft.  The boys of the family slept up there.  Since dry land was scarce, they were often built fairly close to each other.  There was a pot shelf outside the outlet for Acadian crafts.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

ロングフェロー・エヴァンジェリン州立公園内にあるこの小屋は、ルイ・アーシュノー(叙事詩に登場する「ゲイブリエル」)の家と見なされている。苔むした威勢のいい樫の木や糸杉で取り囲まれたこの家は、構造的に一切釘を使わず全て木釘によって結合されていて、初期のアケイディア建築様式の実例となっている。手斧で伐採された糸杉材で出来上がった三階建ての小別邸である。1765年に建てられ、後にフランス革命から脱出してきた二人のフランス人伯爵の所有となったが、現在はアケイディア系入植者たちの生活を再現する博物館になっている。

 

公園内には、こうした初期のアケイディアン様式の民家の他、この地を所有したフランス人伯爵、シャルル・デュクロゼル・オリヴィエが1815年に建築したプランテーション様式の邸宅も保存されている。バイユー・テシ沿岸も、ミシシッピー川両岸同様、18世紀末から19世紀にかけて、フランス出身の大地主が経営する大農園が出現していった。インターステート・ハイウェイ10号線をブロー・ブリッジからセント・マーティンビル、ニュー・アイベリアに南下すると、沿道に多くのサトウキビ畑を目にする。それらは19世紀のプランテーションの名残である。

 

 

 

《写真解説》

上段左: Acadian Cabin(アケイディアンの小屋)

上段右: Visitor Centerでの訪問客への説明

下段: Maison Olivier(オリヴィエ邸)

 

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シャドウズ・オン・ザ・テシとニュー・アイベリア

 

“Shadows-on-the-Teche was built in the favorite Greek Revival style of the period, but with the red bricks left to show their color, so it does not have the “white temple” look.  Although the builder was of English descent, he chose some of the influence of the French Cajun area in which he lived, with the outside stairways, and the jalousies (louvred panels) protecting them from the elements.  The house was restored during the 1920s by Weeks Hall, the great-grandson of the builder, who was often called “the last of the southern gentleman.”  The Shadows is now owned and maintained by the National Trust for Historic Preservation.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

セント・マーティンビルから「バイユー・テシ」を下ると、最初の大きな町がニュー・アイベリアである。「シャドウズ・オン・ザ・テシ(バイユー・テシに映る影)」は、サトウキビ農園で財をなしたデビッド・ウィークスが1834年に建造した邸宅で、約1世紀後にウィークスの曾孫にあたるウイリアム・ウィークス・ホールによってリノベーションが行なわれた。邸宅の裏には「バイユー・テシ」が流れ、表側の庭園にはツツジやツバキが咲き乱れ、スパニッシュモス(スペイン苔)を枝にたずさえたマグノリアや樫の木が南部独特の情緒を醸し出す。「オークアレイ」を始めとするミシシッピー・リバーロードのプランテーションに比べて規模は小さいが、2.5エーカーの土地にコンパクトにまとまっていて、絵になる邸宅だと思う。

 

シャドウズ・オン・ザ・テシのウェブサイトはこちら

 

ニュー・アイベリアに行ったら、お土産は「コンリコ(コンラッド精米会社)」のコメをお薦めする。コンリコ・ブランドの「ワイルド・ピーカン・ライス」は、箱詰めされて全米のスーパーで手に入るが、その他の種類のコメはなかなか目にする機会がないので、ルイジアナ産米のバラエティを実感するのに丁度よい。また、ルイジアナ産米によく合うスパイスもいろいろな種類が販売されていて、大量に買って職場の同僚にお土産を配りまくるには最適かもしれない。但し、スパイスには要注意。そんなに頻繁に使う家庭は少ないので、あまり容量の多いものを買うと、使い切るのに数年かかる。

 

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バーミリオン・ビルとラフィエット

 

バーミリオン・ビルは「地球の歩き方」で紹介されている通り、アケイディアンの入植当時の生活様式を学ぶことができる野外博物館になっている。ガイドブックで紹介されているのであまり詳細についてコメントするつもりはないが、ケイジャン文化を少し知りたいと思っている方には確かにこのバーミリオン・ビルと「アケイディアン文化センター」はお薦めである。建築様式や生活の道具、街角の風景を知るにはバーミリオン・ビル、そこで生活していた人々の衣装や食器、小物類などを見学しつつ、アケイディアンの歴史を学ぶにはアケイディアン文化センターが適している。いずれも、ラフィエット市の市街地の南部に位置し、距離的にもさほど離れていないので、両方訪ねるとよいと思う。

 

バーミリオン・ビルの方には敷地内にレストランがあって、アケイディアンの生活を垣間見た後で軽くケイジャンの食事を体験してみるには丁度良いと思う。但し、ここのレストランのメニューは数種類しかない。95年8月に訪れた美澄と僕は、ガンボー・スープとジャンバラヤしか注文していないが、後述するようにケイジャン・レストランに入ると「クローフィッシュ・エトゥフェ」ばかり注文する僕がそれを注文しなかったということは、そもそもここのレストランのレパートリー自体がそれほどなかったからだ。

 

Acadian Village, “The great Exodus of the Acadians occurred in 1755.  Several of the houses which they built in the “wet prairies,” as the marshes were called, have been saved by being moved to Acadian Village in Lafayette, Louisiana.  The collection forms an extremely authentic replica of a village of the second half of the 19th century.  The houses have been placed along both sides of a sleepy little bayou and a small white church and a store are included.  This particular house was built by Dorsene Castille at Pont-Breaux, Louisiana in about 1860.  It is a little more stylish than the early cabins, and is called La Maison Castille.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

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ジョセフ・ジェファーソン別邸とジェファーソン・アイランド

 

The Joseph Jefferson Winter Home (1870), “This is one of the later historic homes of the 19th Century and is decorated with wonderful gingerbread trim.  Porches and gables project from every side; and from the observatory at the top, one can see for miles over the flat surrounding countryside.  It was set on top of a salt dome and is flanked by historic live oak trees and the famous Live Oak Gardens.  Joe Jefferson was the actor who became famous for his role as Rip Van Winkle.  The interior rooms of the house are charming, and are in keeping with the Victorian style of decoration.” (“Historic Houses of the Deep South and Delta Country”)

 

ニュー・アイベリアから少し西に向かうと、デルカンバー(Delcumbre)という小さな町に入る。実は、この町には「ジェファーソン・アイランド」という別の地名がある。1989年3月に初めて訪れた時、なんでこんな内陸の土地に「アイランド(島)」って名前を付けているのか不思議に思った。地図を見てみると既にメキシコ湾からかなり近いけれど、高台になっていなければ雨季に冠水するような土地でもない。ついでに言うと、「ジェファーソン・アイランド」という地名は、地上の特定の土地を指しているわけではない。なんと、地下の岩塩層が地表に近いところまで隆起している場所を「○○アイランド」と付けているのだ。この近くには「エイブリー・アイランド」という土地もあるが、それは後述する。

 

ではなぜ「ジェファーソン」なのかというと、昔、「リップ・ヴァン・ウィンクル」というアメリカのおとぎ話の劇で主役のリップを演じて有名になった俳優のジョゼフ・ジェファーソンが、冬の間の避寒を目的として購入した別荘が地上にあるからだ。余談だが、「リップ・ヴァン・ウィンクル」というのは日本でいう浦島太郎とストーリーがよく似ていて、山の中に入ったリップが、特に何か異世界に行ったわけでもないのに、帰って来てみると何十年も経っていたという話である。但し、玉手箱に相当するものは出て来ないが。勿論、ジョゼフ・ジェファーソンは19世紀の俳優なので、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の演劇など私が知る由もない。ただ、学生時代にアメリカ民俗学を学んだ時、リップの伝承は、デイビー・クロケットやジョニー・アップルシードの逸話と並んで、結構面白く聞いた記憶があった。

 

それ以上に、この「ジェファーソン・アイランド」との因縁を感じたのは、実は1980年、未だ私が高校生だった頃に、散髪に行っていてテレビでふと見たニュースを思い出したからだった。このジェファーソン別邸の西隣りには、パイヌール湖(Lake Peigneur)という池がある。そして、その池の岸辺から約50mほど離れた湖中には、レンガ造りの煙突だけがなぜか湖面からそびえ立っているのである。そう、昔そこには家があったのだ。何が起こったのだろうか。実は、昔からこの周辺は岩塩の埋蔵量が豊富にあった土地で(だから、後述のタバスコ工場が興った)、岩塩の掘り出しが進んで地底に大きな空洞が出来ていた。そこに、テキサコの油井のドリリングがたまたま入ったため、湖底が陥没して、メキシコ湾からデルカンバー運河を経て大量の水が逆流し、湖に流れ込んだ。「パイヌール湖災害」として今も語り継がれる当時の惨状は、ジェファーソン別邸の入り口のところに設けられている説明用ビデオで今も見ることができる。この大惨事のニュースを、ぼくは故郷の床屋で見ていたのである。当然、地名など覚えていなかったが、生々しい映像はぼくの記憶から離れることがなかった。だから、ジェファーソン別邸で上映されたビデオを見た瞬間、「あれだ」とすぐにわかった。そんなものがあるとは知らずに、知人の運転でこの邸宅を訪れただけだというのに・・・

 

それからさらに6年後の1995年8月、ぼくは美澄と二人で再びこの地を訪問した。湖面の煙突は、今も変わらぬ姿をとどめていた。

 

リップ・バン・ウィンクル庭園の紹介ページはこちら

 

 

エイブリー・アイランド

 

「ジェファーソン・アイランド」の節でも言及したが、この一帯は岩塩の埋蔵量が多い。ニュー・アイベリアから南西方向にメキシコ湾に向かって延びた道の先には、「エイブリー・アイランド」という地名もある。ここも岩塩の採掘が行なわれている土地である。採掘された岩塩を使って何ができるかというと、ケイジャン料理に欠かせないスパイスの素になる。そして、このスパイスのうち最も有名なのが、あの「タバスコ」なのである。エイブリー・アイランドには「タバスコ」ブランドで有名なマッキルヘニー社の工場がある。

 

ここは「地球の歩き方88:アメリカ南部」でも紹介されているので多言を要しない。原料は完熟レッドペッパーと岩塩で、この2つを混ぜてすりつぶし、樽に詰めて3年寝かせるのだ。工場に入ると、発酵したタバスコの鼻につんと刺すにおいに悩まされ、目も開けていられなくなる。大変な生産工程だと思う。1年の間にガンガン消費するような代物ではないけれど、タバスコの生産工程を見学すると、大切に使わねばと思ってしまう。「地球の歩き方」には、ルイジアナ州が「レッドペッパー(唐辛子)を使ったホットソースの世界最大の産地」とあるから、レッドペッパーもルイジアナで生産されているのだと誤解されるかもしれないが、実はレッドペッパー自体はメキシコからの輸入である。

 

またまた「地球の歩き方」の受け売りであるが、ここのギフトショップは掘り出しものの宝庫だと思う。美澄と僕は1995年8月にここを訪れているが、その時は「タバスコ・キャンディ」というのをお土産で買って帰った。舐めてみたら甘辛くてやっぱりタバスコだった。この甘辛さは賛否両論あろうが、お子ちゃまをキャンディ嫌いにするには最適かもしれない。機会があれば樹生に買って来てやろうかな?

 

エイブリー・アイランドにはもう1つ、「ジャングル・ガーデン」と呼ばれる庭園がある。これもかの「地球の歩き方」で、「『奇妙な果実的』庭園」と揶揄され、「タバスコ工場に来たついでに時間があったら立ち寄ってみれば、という程度」と書かれている。率直に言ってこれは当たっていると思うのだが、日本の温泉街とか高原リゾートとかに行くと変な博物館が結構あることを考えれば、ここの庭園も訪れる価値がないとは言えない気がする。現地の人々が結構真剣に「ここにはブッダの寺院があるから日本人のキミは訪ねるべきだ」と勧めてくれるのがおかしかったりする。ただ、タバスコ工場に来たついでに時間があったら、僕はジェファーソン・アイランドを訪れるべきだと思う。実は、美澄と僕は、95年に当地を訪問した際、「ジャングル・ガーデン」に立ち寄ったばっかりにジョゼフ・ジェファーソン別邸を訪問する時間が十分に取れなくなるという失敗を犯しているのだ。

 

 

「ケイジャン料理」の美味しいお店

 

「アメリカン料理って何を指すの?」と聞かれて、あなたは何と答えますか?ハンバーガー?ステーキ?フライドチキン?それともピザ?―――どれも確かにアメリカ的な高カロリーなファーストフードの類なわけだが、そんな「アメリカン料理」の1類型として、僕は「ケイジャン料理」をお薦めしたい。実は、ルイジアナは全米で最も地元料理が美味しいと実感できる土地なのである。ニューオリンズを訪れた観光客は、異口同音に「料理が美味い」と感想を述べる。

 

確かにその通りだと思う。ただ、このページの読者の多くの人が、ニューオリンズに行けばケイジャン料理が食べられると思っているし、実際僕が学生をやっていた17年前と比べても、ニューオリンズ市内にケイジャン料理のお店が増えたような気がする。子供連れには、「ガンボー・スープ」が非常に助かる。樹生が大好きだからだ。でも、本当のケイジャン料理を食べたかったら、やっぱり正真正銘のケイジャンが多く住むアケイディアーナを訪れるべきだ。僕達もルイジアナ界隈をそんなにほっつき歩いているわけではないので、アケイディアーナで訪ねたレストランというのもそんなに数が多いわけではない。取り合えず、地元クラウリー在住のラルフ・カウエン御夫妻に連れて行ってもらったことがあるレストランを3つ4つ紹介したい。

 

l        ムラーツ(Mulate’s Cajun Restaurant):ルイジアナ州ブロー・ブリッジ(325 Mills Avenue, Breaux Bridge, LA)にお店があり、僕が初めて入ったケイジャン料理の専門店である。今やニューオリンズのセントラル・ビジネス・ディストリクトにも支店を開業するほどに成長しているが、当時はというと、本当に田舎町の一角にある小さなレストランで、夜になるとアコーディオンのリズムに合わせて地元のケイジャン達が踊り始めるという、なかなか楽しいお店でもある。ムラーツでケイジャン音楽を演奏するバンドのライブ演奏がカセット・テープ(今はCDだろう)で販売されていて、お土産としてつい買ってしまう。89年3月に僕が初めて連れて行ってもらったケイジャン・レストランである。

 

l        プレジーンズ(Prejean’s Restaurant):ルイジアナ州ラフィエット(3480 I-49 N. Lafayette, LA)にあって、Mulate’sに比べると比較的歴史が新しいケイジャン音楽のライブ演奏を売りにするケイジャン料理レストランである。場所は、インターステート・ハイウェイ10号線からラフィエットで49号線に入って北に少しだけ行ったところにあり、ニューオリンズからのアクセスには非常に便が良い。Mulate’sに比べて床面積も広く、大人数で来てライブ演奏に惹かれて踊り始めても、十分収容できるダンスフロアがあり、片や料理を楽しみたい人は静かに食べ続けることができる。「ケイジャン料理」で何がお薦めかと聞かれれば、僕は「クローフィッシュ・エトゥフェ(Crawfish Etouffee)」だと答える。ザリガニ(これまたルイジアナ特産)を蒸してトマトとスパイスで煮込んだシチューで、蒸したルイジアナの御飯にかけて食べるのだ。感覚として、カレーライスそっくりで、元々南アジアのカレーが好きな僕の感性にピッタリ合う。ルイジアナに行ったら、どこのレストランに入っても、注文するのは「クローフィッシュ・エトゥフェ!」だ。そして、今まで食べた中で最も美味しいと思ったのが、カウエン御夫妻に連れて行ってもらった「プレジーンズ」なのだ。

 

l        シェフ・ロイズ(Chef Roy’s Frog City Cafe):ルイジアナ州レイン(1131 Church Point Hwy. Rayne, LA)にお店があり、インターステート・ハイウェイ10号線をレインで降りてハイウェイから北にのびる道沿いにある。新興レストランらしいが、今の地元の住民にはかなり人気があるらしい。何故だか知らないが、ここレインは「世界のカエル首都(Frog Capital of the World)」と呼ばれる土地らしいので、折角だからカエルの足のフライを食べてみては如何?因みに、うちの樹生君は、フライドチキンと間違えたのか、結構美味しそうに食べていた。2001年8月、樹生と千智がパパ&ママに連れて行ってもらったケイジャン・レストランである。

 

l        デュピーズ(Dupuy’s Oyster Shop):ルイジアナ州アビィビル(108 S. Main St., Abbeville, LA)にある生牡蠣のレストラン。ちょっと「ケイジャン料理」と言うには語弊がある。アビィビルは、デルカンバーからさらに西に数マイル行ったところにある運河の町で、メキシコ湾で採れるシーフードのレストランが軒を連ねている。デュピーズは、アビィビルの中では、Black’s Oyster BarやShuck! The Louisiana Seafood Houseと並ぶ有名店である。アビィビル界隈はあまり活気のある町とは言えないけれど、シーフード料理では相当有名な町らしい。僕は1989年3月に「デュピーズ」で生牡蠣2ダースを食べてお腹をこわしたことがある。確かに美味しかったのだが、お世辞含みで「美味しい」を連発したため、一緒に来てくれたカウエン氏から、「もう1ダース行く?」と聞かれて、「ノー」と言えなかったのだ(嗚呼、悲しき日本人のサガ!)。お陰で、それ以来牡蠣がどうしても食べられなくなってしまった。繰り返し言うが、僕がここの生牡蠣に当たったことは間違いないのだが、決してまずかったわけではない。でも、シーフードに自信のない方は、ほどほどで止めておくことが肝要だ。

 

 

《写真解説》

左: Mulate’s本店の遠景

右: 向かって左がクローフィシュ・エトゥーフェ、右がフライド・クローフィッシュ