アメリカ鉄道巡り21

アルトゥーナ
Altoona

 

 

 

 


 

場所:ペンシルベニア州アルトゥーナ

 

アクセス:ワシントンからは、I−270、I−70、I−99を経由して約2時間45分のドライブ。

 

沿革:アルトゥーナという町は、1854年にできた比較的新しい町である。アメリカ開拓時代に障害として立ちはだかったペンシルベニア中部のアレゲニー山脈の、取り分け険しい分水嶺の東側に位置し、ここから先はかなりの山登りが待っている。物流支援によってアメリカ経済の発展に貢献してきた鉄道が水運に代替するには、この山脈を越えてピッツバーグやオハイオまで延伸しなければならない。アルトゥーナは、ペンシルベニア鉄道の西進の拠点となった町で、アレゲニー山脈内を走るレールの敷設作業は、この町の鉄道マンによって行なわれた。アメリカ国内はおろか、ヨーロッパから集められた工員も多く、山岳地帯の鉄道敷設に関する当時の最先端の知識と技術が集められたのだった。急坂での牽引や、下り坂でのブレーキなど、機関車も列車も山岳地帯では傷みが激しく、メンテナンスも必要だった。このため、アルトゥーナには大きな操車場とドックが置かれ、修理やメンテナンスが盛んに行なわれた。アルトゥーナの最盛期は20世紀初頭で、17000名の鉄道マンがペンシルベニア鉄道に雇用されていた。世界最大の鉄道城下町である。「鉄道城下町」という言葉は、ワシントン近郊のカンバーランド、ストラスバーグ、ボルチモア、ウィルミントン等、現存する鉄道観光スポットにはいずれも当てはまらない。別の産業があるからだと思う。逆に、アルトゥーナには鉄道しかない。(但し、鉄道交通の中継点として、いずれの中西部、東部の町からもアクセスがし易かったため、リンカーン大統領が1862年の「奴隷解放宣言」直後に開催した共和党大会は、この地で開催されている。)

 

鉄道員記念博物館(Railroaders Memorial Museum):アルトゥーナ市内の駅に隣接するドックを改造して作られた博物館である。アメリカの多くの鉄道博物館がそこで働く人よりも機関車、列車といったハードの展示に重点を置くのと対照的に、ここの展示はハードはあまりなく、そこで働く人々の仕事振りの紹介に重点が置かれている。工員が使った工具類の紹介や、株主と電話で会話する経営者とか、キオスクで新聞や雑誌を売る子供とか、工員の日常生活とか、鉄道開発に関する各種の実験装置の展示とか、他ではとても見られない興味深い展示が多い。アルトゥーナの町やアルトゥーナ以西の鉄道網の発展プロセス、そして衰退プロセス等、非常にコンパクトかつわかりやすく展示されている。解説も非常に丁寧に添えられている。これだけの博物館はボルチモアとストラスバーグにしかないが、ボルチモアは改装後鉄道開発史の展示を廃止してしまったので、よりハードに傾いてしまったし、ストラスバーグも機関車の保存に重点が置かれているので、ここに行けばペンシルベニア鉄道の発展プロセスが簡単に理解できるというわけではない。その点では、アルトゥーナの博物館はとてもわかりやすい。郊外に出ればこの周辺での鉄道開発がいかに困難であったかがひと目でわかるし、学習目的で子供に見せるにはおそらく最適な鉄道博物館だと思う。鉄道を走らせるのにどれだけ多くの人々が関わってきたのか、なぜ鉄道マンが人々から敬意を払われていたのか、想像ができる。

 

 

 

 

馬蹄形カーブ(Horseshoe Curve National Historic Landmark):アルトゥーナ以西に鉄道延伸するためには、アレゲニー山脈の分水嶺を先ず越えなければならない。1854年、エドガー・トンプソンというペンシルベニア鉄道のエンジニアがアルトゥーナに着任し、急勾配を避けて徐々にレールの高度を上げてゆくルートを調査した。複雑に入り組んだ渓谷の尾根と尾根の間に橋梁を建設するのでは、急勾配が避けられない。そこで、アルトゥーナ市街から数マイル西方に、尾根に沿って徐々に高度を上げてゆくルートを計画した。結果的にこのルートは上空から見ると馬蹄形をしており、カーブの先端からは、180度以上の角度で列車の往来を見ることができる。最初は単線だったレールも徐々に拡張され、現在のレール数は3本。上りと下りの車両がすれ違ったり、或いは2両の上り車両(或いは下り車両)がランデブー走行したりするオイシイ光景を堪能できる。現在もこの路線は活用されており、1日約60本の貨物列車、旅客列車が往来している。カメラを抱えた鉄道マニアは、他の撮影ポイントに陣取った友人と無線交信しながら、カーブ先端にある広場で列車の往来を待つ。この広場はピクニックエリアになっていて、木製のベンチも置かれているし、来た客の中にはキャプテンチェアやクーラーバッグ持参で長く陣取る人も多い。老人にも子供にとっても、いるだけで楽しくなる公園だ。ビジターセンターからカーブの先端の広場までは約100フィート登らなければならないが、ここには「Horseshoe Curve Funicular」というインクラインド・プレインが設置されているので、簡単に登ることができる。勿論階段もある。アルトゥーナ市内の鉄道員記念博物館の入館の際に払った入館料は、馬蹄形カーブの公園の入園料込みだ。その際にインクラインド・プレインの通行用コインも2枚渡される。上り用と下り用ということなのだが、下りは階段を使って、コインを一枚記念に持ち帰った。

 

 

 

 

 

ボクは、長男の樹生が生まれて1歳になった頃、多摩の聖蹟桜ヶ丘に住んでいて、よく樹生を抱いて多摩川の土手から京王線の関戸鉄橋を走る列車を見せていた。樹生は、列車が目の前を通る度に手をバタバタさせて、とても興奮していた。それが樹生とパパの鉄道探訪の原点である。馬蹄形カーブも状況はよく似ている。このコラムを書いている時点で、既に樹生は先に本帰国していて、東京で新しい生活をスタートさせているが、このアルトゥーナのインフラを見て、もっと早く、樹生を連れて訪れたかったなとやや後悔した。ピクニック気分で訪れて、数時間ここの公園で過ごせば、樹生はとても喜んだだろう。なお、ボクも残りの滞米生活期間から考えて訪問不可能なのだが、アルトゥーナでは毎年10月最初の週末に「鉄道祭(Altoona Railfest)」が開催される。アルトゥーナのエンジニアが20世紀前半に開発したE8という機関車が実際に客車を牽引して馬蹄形カーブまで走るらしいので、興味がある方は訪れてみられてはいかがだろうか。

 

アルトゥーナ・カーブ(Altoona Curve):アルトゥーナは鉄道の町だが、実はこの町にはプロ野球のチームもある。馬蹄形カーブから名を取った「アルトゥーナ・カーブ」である。ピッツバーグ・パイレーツのAAクラスのマイナー球団だが、パイレーツはAAA球団がテネシー州ナッシュビルにあるので、AAとはいえすぐにメジャーからお呼びがかかりそうな選手はアルトゥーナにいるケースも多い。1998年創設の新しい球団で、今年初めてプレーオフ進出を果たした。球場は「ブレア・カウンティ・ボールパーク(Blair County Ballpark)」といって、遊園地に隣接している。ボクもマイナーリーグ行脚もこれで3戦目だったが、この球場のインフラは、下手したらAAAクラスの球場よりも良いかもしれない。I−99の出口のすぐそばにあり、交通の便はなかなかよい。マスコットはペンシルベニア鉄道の主力機関車だったK4をもじった「スティーマー」である。いかにも鉄道城下町の球団である。マイナーリーグの試合というと、メジャーでは考えられないようなエラーが目立つ。Aクラスはおろか、AAAクラスでも下位のチームの守備は草野球のレベルだったりする。AAのアルトゥーナは、さすがにイースタン・リーグで2位に付けているだけあって、守備はなかなかしっかりしている。日本人選手でもいれば応援したいところだが、日本のプロ野球から来てわざわざパイレーツを選ぶ奴は少ないだろうから期待薄かな。(同じイースタン・リーグの首位はクリーブランド・インディアンズのAAアクロン・エアロスだが、ここには、立教大学から今年インディアンズとマイナー契約した多田野投手がいるので、来年もマイナー契約でアクロンに留まるなら、ワシントン在住者は、ここアルトゥーナか、ワシントンの東部にあるブーイ・ベイソックス、ペンシルベニアのハリスバーグ・セネターズ、レディング・フィリーズ等との試合を観戦に行ってはいかがかと思う。)

 

鉄道員記念博物館・馬蹄形カーブのウェブサイトはこちら!

アルトゥーナ・カーブのウェブサイトはこちら!

 

(2003年9月1日)